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【#えぞ財団】連載企画「#この人、エーゾ」⑯アメリカ/映像プロダクション・N43Productions山田さん ~”北海道×アメリカのフュージョンで北海道の価値がアメリカ国内でも向上させられるような仕事”を~
えぞ財団
2022年5月26日
もがきながらも新たなチャレンジをしているひとを紹介する「この人、エーゾ」。今回ご紹介するのは、山田大介さん。北海道の映像プロダクションでカメラマンとして勤務時、アメリカでの取材に影響を受け渡米するため退職。アメリカの日系映像プロダクションではMLB取材クルーとして大谷翔平選手や田中将大選手を撮影。現在独立し映像プロダクションN43Productionsの代表を務める。
目次
- 田中将大や大谷翔平を撮影するカメラマン。テレビ業界入社のきっかけは「カッコいいな」
- 東日本大震災でカメラマンデビューを経て、ニュースの現場へ。ファインダー越しにのぞく人々の生死、人生
- スポーツの現場も。渡米に向けた大きな転機は自ら企画・構成した”アメリカ取材”
- 思い立ったら即行動!全米の映像プロダクションに履歴書を送りインターンに。過酷な状況も妻のサポートに感謝
- ロサンゼルスで正規採用。ニュース取材の傍ら、日本での災害取材の経験が生きる
- ついにMLB大谷選手を取材!北海道日本ハムファイターズのデビューから撮影した選手がメジャーの舞台で活躍
- 独立、起業。”北海道×アメリカのフュージョンで北海道の価値がアメリカ国内でも向上させられるような仕事”を
山田大介:N43Productions(アメリカ・ロサンゼルス)代表。1986年札幌に生まれ、2006年に札幌市の映像プロダクションに勤務、2016年に渡米し、アメリカの日系映像プロダクションにて勤務ののち、2022年独立し、現在に至る。趣味は、バスケットボール、スポーツジム通い、キャンプ。
N43Productions(山田さん)連絡先:daisuke@n43productions.com
田中将大や大谷翔平を撮影するカメラマン。テレビ業界入社のきっかけは「カッコいいな」
札幌市出身のカメラマン山田さんは現在、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス郊外を拠点に活動しています。街路樹はヤシの木、照り付ける強い日差しの中、車で15分ほど走らせるとビーチがあり、多くの地元の方々や観光客が訪れます。2016年の単身渡米からおよそ6年、現在は自身が立ち上げた映像プロダクションN43Productionsの代表兼カメラマンとして、地元ロサンゼルス・エンゼルスで活躍する大谷翔平選手の大リーグ(MLB)の中継や周辺取材などを中心に多忙な日々を過ごしています。これまでもニューヨーク・ヤンキースで活躍した田中将大選手の取材など多くの現地取材経験を持ち合わせるカメラマンです。
札幌市出身の山田さんは高校卒業後、テレビ業界を目指し東京の専門学校に進学します。「そもそもはテレビを作る側の職業に就きたいと思っていました。ディレクター志望で専門学校には行きましたが、カメラマンってカッコいいなという印象と、取材現場は楽しそうという直感でカメラマンを目指しました」と当時を振り返ります。専門学校を卒業後の2006年、地元札幌市の映像プロダクション会社に就職し、最初の4年間はカメラマン助手として見習いをしていましたが、2011年に東日本大震災が発生しました。山田さんは自らカメラマンとして被災地に赴くことを志願し、念願のカメラマンになりました。「カメラマンのデビューが東日本大震でした。やっと念願のカメラマンになれたという気持ちは全くなく、とにかく被災地の現状を正しく伝えたいということと、目の前に広がる現実を映像化するために考えるのに必死だった」と当時を振り返ります。
東日本大震災でカメラマンデビューを経て、ニュースの現場へ。ファインダー越しにのぞく人々の生死、人生
自ら志願し、カメラマンとなって東日本大震災の現場に足を踏み入れた山田さんは「一面津波被害によって何も残っていない海岸沿いを見て言葉が出なかった」と話します。通常の事件、事故の現場ではカメラに収めるべき事柄がある程度限られているため、情報をいかに整理してニュースの短い枠に収まるストーリにするか頭の中で考えながら撮影しますが、被災地はすべてといっていいほどこれまで経験をしたことがない状況なのでそうはいきません。さらに、家を失ってしまった住民、災害支援活動を行う自衛隊、交通整理や相談を受ける警察、メディアなど騒然とする中での取材活動は、精神的にも肉体的にもとてもつらいものがありました。「東日本大震災の取材では、つい数日前までここには日常の生活があったのだろうな。とファインダー越しに見る現実を頭の中でうまく整理することが最初は全く出来なかった。それでもこの事実を正しく伝えることが使命なので冷静に取材することを心掛けました」と話します。
東日本大震災の取材後は、主に北海道文化放送(uhb)の報道取材クルーの一員として、事件、事故の取材を行いました。「当たり前のことなのですが自分が撮影した映像をテレビを通して大勢の人が見るということの責任を感じました。それと同時に様々な現場を経験するなかで、人々が生死、人生の大きな転機に直面している現場を取材する日々で、正直胸が詰まる取材もありました」と当時を振り返ります。この主にニュース番組を構成する事件、事故の取材の知識や経験、現場でのとっさの判断や、感情のコントロール、自身のカメラマンとしての存在意義の自問自答が今後、山田さんの人生において大きな影響を与えます。
スポーツの現場も。渡米に向けた大きな転機は自ら企画・構成した”アメリカ取材”
上記の事件、事故取材の一方、北海道日本ハムファイターズの試合中継や、キャンプ、周辺取材の機会を中心にスポーツコンテンツの取材も増えた山田さん。のちに山田さんの渡米の大きな転機となるのは2013年、カメラマンでありながら、自らディレクター(企画・構成)をし、当時北翔大学で”車いす野球を日本に根差したい、広めたいというプロジェクト”(一般社団法人 日本車椅子ソフトボール協会の前身)を取材しているときでした。その取材の一環で北海道のチームが、アメリカ・シカゴで開催される”Wheelchair Softball”の大会出場に同行取材しました。「アメリカでのこの取材は衝撃的でした。それまでも日本のプロ野球の取材はしていましたが、アメリカの球場(ボールパーク)の観客の近さや、スケールの大きさ。メジャースポーツ、マイナースポーツ問わず、地元との密着度合いや、熱狂ぶりなど全てです。テレビをつけたら何かしらのスポーツが中継されていて、バーに行ったら人々が地元のチームを応援し、一喜一憂しているというアメリカでは当たり前の光景が本当に衝撃的でした」と当時を振り返ります。
思い立ったら即行動!全米の映像プロダクションに履歴書を送りインターンに。過酷な状況も妻のサポートに感謝
「アメリカに拠点を移し、カメラマンとして活躍をしたい。できることならばアメリカのスポーツを撮影したい」と考えた山田さんですが、特にアメリカにつてがあるわけではありませんでした。全米の映像プロダクションにメールで履歴書を送りまくった結果、十分なお金がもらえるわけではないインターンシップではありましたが、サンフランシスコの現地映像プロダクションにて採用が決まったため、2016年、札幌市の会社を退社し、妻と2人で渡米。最初からMLBをはじめとするスポーツを撮影できるわけではなく、ニュースの取材などで現場を駆け回る日々が続きました。ただ、インターンシップのため金銭的にはとてもきつく、サンフランシスコの中でもとりわけ治安が悪い地域の安宿で過ごす日々が続きました。「街角で違法薬物を吸っている人、怪しすぎる勧誘をしてくる人など”リアルなアメリカ”を体感しました。妻と2人だったので自分自身はいいですが妻の身に何かあったらと心配で、とにかく稼がないとだめだ!と決意しました。そんな過酷な状況でもサポートしてくれた妻には今でも感謝しっぱなしです。当たり前ですがお金と安全は大事なんだと痛感しました(笑)」
ロサンゼルスで正規採用。ニュース取材の傍ら、日本での災害取材の経験が生きる
アメリカで合法的に金銭を得るためには有効なビザやサポートする企業が必要であることから雇用先を探している際に、ロサンゼルスにある日系映像プロダクションに採用が決まりロサンゼルスへ移動。そこで日本のテレビ局向けのニュースやバラエティー取材の日々が始まりました。まさにテレビを通じてしか見ることがなかった”ゴールデングローブ賞”の会場をはじめ、メキシコ原住民のバスケットボールチームの取材、ユタ州ザイオン国立公園など国内外問わず現場を駆け回っていました。「なぜ、自分がゴールデングローブ賞の会場に蝶ネクタイを締めているのか?と今振り返ったら笑えてきますが、とにかく今でも毎日が刺激的です。映画でしか見たことがないハリウッド俳優が目の前を通り過ぎていく。と思ったらメキシコの奥地で少女たちのバスケを追いかけている。忙しい日々ですが本当にアメリカに来てよかったと感じます」
その中でも、印象深い取材は2018年のグアテマラの火山噴火でした。噴火後現地に入りましたが、土石流や噴煙であたりは騒然とし、住民や警察、報道関係者が入り乱れる中での取材でした。あたりには呆然と立ち尽くす人、火山のほうを見つめる人、規制線を張る警察がいるなか、我々取材チームも万が一に備えヘルメットとゴーグルを装着しての取材でした。「正直、東日本大震災の時の経験が生きました。撮影時はファインダーをのぞきながら、それ以外は周囲に気を配りながら冷静に取材することが出来ました。英語圏ではない国での取材でしたが、大きなトラブルはなく終えることが出来ました。でもやはり、災害の取材は言葉では言い表せない感情が残ります。できることなら、今後一生災害は起きないでほしいし、もちろん取材も行きたくないです」と話します。
ついにMLB大谷選手を取材!北海道日本ハムファイターズのデビューから撮影した選手がメジャーの舞台で活躍
アメリカ国内外問わず、多くの経験を積みながら、移動も含め多忙な日々を過ごしていた山田さんは、ついに念願のMLB中継のチャンスが回ってきます。日本の映像プロダクション時代に経験したプロ野球中継の経験も買われてのチャンスでした。「内心、やっと撮れる!と思いましたが、ついにアメリカでメジャースポーツを撮影するという大きな目標が叶うと思うと、ワクワクしたのを覚えています」と当時を振り返ります。とりわけ、MLB選手の中でも現在、ロサンゼルス・エンゼルスに在籍する大谷翔平選手は元々北海道日本ハムファイターズに所属しており、取材できた時は感慨深いものがありました。「日ハムのデビュー当時から、二刀流も含め札幌ドームを中心に中継や取材で撮影していた選手が、舞台をアメリカに移し、これだけ大活躍している。僕は日本のテレビ向けの中継が多いので、『球場の臨場感も含めて最高の映像を撮りたい、そして絶対にミスはしたくない』とただならぬ緊張もある」と話します。「札幌時代から取材していた大谷選手が、アメリカでも活躍している。活躍の場は違いますが、とても刺激になりますし本当にアメリカに来てよかったと思います」と笑顔で答えてくれました。
山田さんの実績も認められ、今では多くのMLB関連の仕事が入っています。
独立、起業。”北海道×アメリカのフュージョンで北海道の価値がアメリカ国内でも向上させられるような仕事”を
かねてから独立志向が強かった山田さんは今年、これまで在籍していた日系の会社を退職し、映像プロダクション”N43Productions”を起業しました。N43には札幌市が北緯43度に位置することから、北海道への思いが込められています。これまでの動画カメラマンとしてだけではなく、スチールカメラ(静止画)やドローン操縦も会得しました。「独立するにあたって不安もありました。コロナ渦ということもあり、テレビやエンタメ、スポーツ業界も不安定な時期はありました。でもやはり好きなことを好きな人たちと作るために、決断しました。最近は北海道の企業からの依頼もあり、今の時代どこを拠点にしても簡単に人とつながれるなと感じています」と話します。
「また、アメリカに来たことで日本や北海道の魅力を改めて認識する機会にもなりました。例えばですが、ロサンゼルスには映像クリエーターやデザイナーを目指す若者も含め、とてもハイレベルなクリエーティブ能力を持つ人材がたくさんいます。北海道で撮影した素材をアメリカで編集したり、ネイティブの英語で翻訳したり、デザイン性を高める”北海道×アメリカのフュージョンで北海道の価値がアメリカ国内でも向上させられるような仕事”を積極的にしたいと思っています」と今後の展望を語ってくれました。
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