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【#えぞ財団】連載企画「#この人、エーゾ」⑱Hokkaido Design Code四宮さん ~当事者意識を持って自分の仕事に取り組むこと。それだけで自然と”デジタル人材”になれると思う~

【#えぞ財団】連載企画「#この人、エーゾ」⑱Hokkaido Design Code四宮さん ~当事者意識を持って自分の仕事に取り組むこと。それだけで自然と”デジタル人材”になれると思う~

えぞ財団 2022年8月3日

もがきながらも新たなチャレンジをしているひとを紹介する「この人、エーゾ」。今回ご紹介するのは、四宮琴絵さん。高校卒業後、地元企業に事務として入社。幼少期から歌が大好きで、出場していたカラオケ大会でスカウトされたことをきっかけに上京。上京後にSEとなり、そこから未来に繋がることに出会い続けています。

四宮琴絵:1976年北海道釧路市生まれ。2005年に結婚し、3人の子どもを出産。一時は専業主婦となるが、2014年にSEとして現場へ復帰。現在は、株式会社ジョイゾー 取締役COO、合同会社Hokkaido Design Code 代表社員、一般社団法人学校地域協働センターラポールくしろ 理事、釧路市DXアドバイザーを複業としている。趣味は、夫である靖隆さんと一緒にリフレッシュできるゴルフ。

夢を叶えるための上京。その先にあったのは”歌手”ではなく”システムエンジニア"


北海道の東に位置し、人口約16万人の釧路市。釧路市は、釧路湿原国立公園・阿寒摩周国立公園をはじめ、豊かな自然に恵まれており、国の特別天然記念物のタンチョウやマリモといった貴重な動植物に出会える場所でもあります。
地元が大好きで、地元を出たくないという気持ちがあったし、当時のコンビニのアルバイトがすごく面白くて。高校卒業後は、そのまま地元の企業に事務員として就職しました」と四宮さんは当時を振り返ります。特にコンビニのアルバイトでは、レジや品出しだけではなく、発注まで任せてもらったりと学生時代にはなかなか経験できないような責任のある仕事内容だったといい、とてもやりがいを感じていたそうです。また、民謡の教室を運営していた祖母の影響で幼少期から歌が大好きだった四宮さん。就職後も仕事の合間を縫って、全道のカラオケ大会によく出場していたといい、それがきっかけで今があるともいいます。「ある時、カラオケ大会の審査員の方から実家に電話が来て。『東京へ出て、もし勉強する気があれば、生活費は自己負担ですがレッスン料を支払うのでどうですか』と。突然のことで全然行く気がなかったんですが、母が『夢だった歌手になれるかもしれないから行ってみたら』と一言。私の重い背中を押してくれたんです」と話してくれました。 当時はすでに一人暮らしをしていたという四宮さんですが、上京するために実家へ戻り、準備資金を貯めることに。そして上京後、芸能事務所へ所属しますが、下積みとして歌やダンスのレッスンばかりの日々。その状況が続いたことで、生活費のことや将来のことを真剣に考えるようになり、23歳の四宮さんは、約2年間の芸能生活に幕を閉じることを決意し、都内のIT企業へ就職します。



「JPEGってなんですか?」というレベルでもSEになれることを証明した事務員時代


23歳の時に都内のIT企業へ営業事務として入社した四宮さん。IT企業へ入社しますが、実はパソコンが得意とかではなく、普通にエクセルやワードが使えますというレベルだったといい、ITにも詳しいわけではなかったと話します。そんな中、上司に言われたことがきっかけで、突然システム部に転属願いを出すことになったとか。 「『営業事務は若いうちしかできないかもしれないけど、SE(システムエンジニア)は歳をとっても需要があるから、SEの勉強する気ない?』と上司に言われて。私は上京する時も母に背中を押してもらって決断したのですが、今度は上司に背中を押してもらって。それで 『せっかくだから勉強してみようかな!』ってなったんです」
SEになるためには、社内試験を通過することが必須。周りからは「事務が受かるわけがない」と思われていたといいますが、結果、試験ですごく良い点数を取ることができ、晴れてシステム部へ異例の転属が決まりました。 「実際にSEとして働いたのは3年間だと思います。やってみたらめちゃくちゃ楽しくて、 夢中になってました。毎日終電で土日も働いて、今でいうと超ブラックな働き方(笑)でも 『楽しいから働いている』という感覚でした」
小さい頃から物事に対して「なんで?なんで?」と疑問を持ち、知りたいことがあるとひたすら追及する性格だったという四宮さんは、この時、システム設計の仕事が自分に向いていることに気づいたといいます。そして、さらにこの時、のちに結婚する靖隆さんに出会ったそうです。

“結婚・フリーランス・出産”を経て、約9年間専業主婦に転身


システム部で働いたことがきっかけで夫である靖隆さんに出会い、結婚を決めた四宮さんは、会社を辞め、フリーランスの働き方に変えたといいます。当時はコーディングのアルバイトや、独立した同僚から仕事を受注し、フリーランスとして働いていたそうです。 「妊娠して産休に入って、2006年に第1子を出産しました。そしてそのまま仕事には復帰せず、専業主婦に。第1子ということもあり、今考えるとすごく神経質でストイックな子育てをしてました。毎朝家族が起きる前に床拭きをしたり、完全母乳で育てることを決めたり。 周りで子育てしている方を参考にさせてもらい、ベビーマッサージやスイミング、赤ちゃんの英語教室や体操教室などにも通い、とにかく忙しく過ごした毎日だった。子どものためにと思って通っていたけど、実は自分自身も同世代のママたちと知り合えるので、ママたちとの会話を楽しむ目的でも通っていた。でも、いつの間にかストイックになり過ぎていて」 と当時の状況を語ってくれました。 世の中ではiPhoneの第1世代が発売され、スマホが主流になりかけた頃。インターネット上で子育てについての情報収集が当たり前になり、情報が溢れ出している時代でもあったといいます。そして、その状況から救ってくれたのが夫である靖隆さんだとも話してくれました。「夫は当時、仕事が終わるのがものすごく遅かったのですが、疲れて帰ってきても『代わるよ』と言ってくれて。1人目が抱っこしないと寝ない子だったので、なるべく負担を減らそうと色々と一緒に育児をしてくれました。子育てをするのがこの人と一緒で本当に良かったなという気持ちでいっぱいでした」と笑顔で話してくれました。

2014年SEとして復帰。”対面開発”という手法のスピード感に圧倒される


「育児が少し落ち着いた頃、夫の会社である株式会社ジョイゾーに社員として入社をしました。ただSEとしての経験があるというだけで、以前やっていたシステム設計とは全然やり方が違って。今までは 『ヒアリングして、メモを取って、それを整理して、持ち帰って設計する』という方法だったのですが、クラウドサービスの設計も初めてですし、『対面開発』という開発手法自体が世の中にはまだあまりない時代でした。それに夫の会社に入社したので、私は『四宮琴絵』 ではなく、『四宮さんの奥さん』っていう存在になっているような気がしていました」

株式会社ジョイゾー | https://www.joyzo.co.jp/

“対面開発”とは、お客様からヒアリングしながらその場でシステムを設計し、お客様にご提案していく手法だといい、時間制限がある中で、そのすべての作業を行うのは相当なスピード感が求められるといいます。その後、試行錯誤を繰り返し、2016年頃からサイボウズ株式会社さんの”地域クラウド交流会”という地方創生イベントに関わりはじめたという四宮さん。
「その頃は、入社して2年ほど経過していたため、それなりに対面開発を1人でもできるようになっていました。自分自身で自分の居場所を見つけられたと感じられるようにもなっていました。おそらくこの頃からですね。『四宮琴絵』として認識してもらえたのは



夫婦で一緒に仕事をすることの”もどかしさ”と”楽しさ”


2019年に株式会社ジョイゾーの取締役 COOとなった四宮さん。2014年に入社してから5年後のことですが、それまではたくさんの葛藤や失敗があったといいます。 「いきなり取締役になったのではなく、その前に執行役員を経験しました。社員として現場で働くという立場ではなく、経営に携わるという部分で、夫とはだいぶ衝突しながら仕事してました。なので、その頃は夫婦でもあまり上手く会話ができない時期もあったかな。多分、私よりも夫のほうが『一緒に仕事するって難しい』と感じていたと思います」と当時の大変な時期を振り返ってくれました。その後、四宮さんは社員時代には感じなかった責任を自覚し、経営側にまわったといいます。また、社外の方に経営アドバイザーとして関わっていただけることもきっかけとなり、会社のバランスが出来上がり、基盤が安定したそうです。



複業と2拠点生活。「みんなで芽を育てていきたい」


現在は東京に主な拠点を置き、月の1週間くらいを釧路で過ごしているという四宮さん。 また、これまで地元釧路で地道に蒔いてきたアイデアの種の芽が出始めた段階だといい、自身の仕事にやりがいを感じている今だからこそ、2拠点での活動の難しさも抱えていると話します。 「来年の4月に釧路 MOOという施設でイノベーションスペースを開設予定で、その準備中なのですが、改装するために現地に行かないとできないこともあって。でも、子どもたちの生活を安定させてあげることが一番なので、どういう方法がいいのかなと考えている真っ最中です。今後、例えば『コロナ禍で実施されていたリモート授業が通常になって、どこの学校に行っても同じことを学べるという環境』があったら、仕事で『ワーケーション』と言っているように、子どもたちも好きな場所で学ぶことができるなと思ったりもしています。その他にも『コンピュータクラブハウス』を釧路市でも開設したいため、いろいろと構想中です」 
“コンピュータクラブハウス”とは、子どもたちが最先端のITツールやソフトを使ったり、3Dプリンターなどを自由に使える場所だといいます。現在、プログラミング教育の普及を支援するNPO法人みんなのコードさんと一般社団法人学校地域協働センターラポールくしろで連携し、釧路市で実現できるように構想を練っている段階だそうです。どんな立場の人の話でも、それぞれの想いを理解した上で、自分の意見を押し売りせず、どうしたらよいかを一緒に考えるというスタンスを四宮さんは常に大切にしていると話してくれました。

特定非営利活動法人みんなのコード
https://code.or.jp/


「私が考える『デジタル人材』は『デジタル事務員』です」


最近注目されている”デジタル人材”や”DX(デジタルトランスフォーメーション)”という言葉。社会全体の各方面で高い関心を集めている言葉ですが、「具体的にどういうことをすれ ばいいのか?」や「どういう人材のことをいうのか?」など、内容が複雑で理解されていない現状もあります。そこで、釧路市DXアドバイザーの顔も持つ四宮さんは、デジタル人材についても独自の見解を話してくれました。 「今からデジタル人材を増やす取り組みをするとして、例えば営業事務の人に『今からプログラミングを学んでください』といっても、習得するまでには時間がかかるし、相当な努力も必要になると思います。私の中で『デジタル人材』って、事務員の方がITスキルを身に つけるのではなくて、自分がやっている業務の目的がなんなのかということを IT事業者にきちんと説明できるスキルだと思うんです。『難しく考えずに、今あるものでスキルアップ・ レベルアップできるんだよ』ということを伝えたい。『ITを覚えるんじゃなくて、業務をし っかり分解して伝えられるスキルで十分』ということを伝えたい」 四宮さん自身も営業事務からSEに転身できたのは、ITエンジニアの方々に対して”自分が求めているデータ”や”改善したいこと”をただ単にしっかりと伝えることができたからだといいます。 「なんでもかんでもやっていると思われがちなのですが、私自身はそれぞれに役割を持ってやらせてもらっているので、すごく楽しいんです!『デジタル人材ってそういうことなんだ!』と親近感を持って、『それなら自分でもできるかも』って思う人がこれからたくさん増えてくれることを願っています




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