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【#えぞ財団】連載企画「#この人、エーゾ」㉘医療キャスター・松本裕子さん~「勝者ではなく、立ち上がり続ける敗者でありたい。失敗しても最終的に立ち上がればいい」~
えぞ財団
2023年4月7日
もがきながらも新たなチャレンジをしているひとを紹介する「この人、エーゾ」。今回ご紹介するのは、松本裕子さん。イギリス留学や外資系企業の社長秘書、そして外資系航空会社でキャビンアテンダントを経験し、最終的に辿り着いたのは、医療キャスターという道。今年3月には”HAPPY WOMAN FESTA 2023 HOKKAIDO”も開催。積み重なった数々の経験が松本さんの人生を彩り続けます。
目次
松本裕子:1972年北海道函館市生まれ。北海道函館東高等学校(現在の市立函館高等学校)を卒業後、北星学園大学短期大学部英文学科へ進学。その後、イギリス留学や外資系企業・ 航空会社を経験し、転職。1999年からの15年間は、福井テレビ・北海道文化放送でニュースキャスターを務め、その後フリーランスのキャスターに転身。現在は医療キャスターとして、毎月第2・4日曜朝6:15からUHBで放送中の医療番組”松本裕子の病を知る”に出演中。その他にも道内外の医療セミナー等で司会進行を務め、疾患啓発活動をライフワークとされています。
【開催レポート】北海道初開催「女性のカラダを正しく知る」国際女性デー|HAPPY WOMAN FESTA HOKKAIDO 2023
https://happywoman.online/event/hwf/hwf2023/report_hokkaido2023/
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イギリスへの憧れの気持ちがモチベーションとなった学生時代
「中学生くらいの時、TM NETWORKの小室哲哉さんが大好きで。小室さんのスタジオがイギリスのロンドンにあったり、小室さんの曲の中にイギリスにまつわるものが出てきたり。それでものすごくイギリスに行きたいと思ってたんです!当時はインターネットが普及されていなかったので、本屋さんに行ってはイギリス関連の本をたくさん購入して、将来は『イギリスで生活して生涯を終えたい!』と思うくらい、気が付いたら大好きになっていました!」
出身地である函館市の北海道函館東高等学校(現在の市立函館高等学校)を卒業し、その後、北星学園大学短期大学部英文学科に進学された松本さん。当時、イギリスへ留学できるプログラムがある大学は少なかったといいますが、北星学園大学短期大学部にはイギリスのランカスターに約9か月間留学するプログラムがあったといい、それが理由で短大に入学を決めたそうです。
「短大でランカスターに留学し、短大卒業後は、東京の翻訳の専門学校に1年間通いました。本当は4年制大学に入りたいという気持ちもあったので『短大を卒業しても残り2年間は勉強をさせてほしい』と両親にお願いしていて。そして専門学校卒業後は、もう一度イギリスのランカスターに約1年留学していました」
帰国後は東京で外資系企業の社長秘書として就職をした松本さんですが、約2年間の留学生活を経験しているということもあり「やっぱりもう一度、海外で生活したい!」という強い想いもあったとか。そして仕事をしながら新たなチャレンジをすることを決意し、松本さんは香港が拠点のキャセイパシフィック航空への転職を決め、そこから約2年間の香港生活がスタートしたと話してくれました。
アジア人女性の揺るぎない強さを体感した2年間の香港生活
20代前半で、当時世界42都市への就航路線を持っていたキャセイパシフィック航空のキャビンアテンダントに転職した松本さん。香港では、もう1人の日本人の同期とインドネシア人の同期と3人でルームシェアしながら生活し、仕事ではアジア各国から集う仲間たちと本当にパワフルな毎日を過ごされていたといいます。
「香港生活は、異文化なので価値観の違いもあり、毎日が驚きの連続でした。そして『働くこと』について真剣に向き合うきっかけがたくさんありました。特に、アジア各国の女性たちの自立心や独立心が素晴らしくて。若い頃から夢やビジョンが明確で、本当に刺激を受けました。『何歳でこれをやって、やりたいことはこれで、最終的にはこれをやって』というように具体的なんです。おかげで私も『働くこと』に対しての価値観がすごく変わりました」
現在もこの香港での経験が自身の働き方の土台となっているという松本さんですが、様々な国の女性の考え方を知ったことで「自分が本当にやりたいことは何だろう。それを見つけるためにどうやって行動したらよいだろう」という楽しみな気持ちと不安の気持ちの両方が芽生えたといい、ここからさらなる挑戦が始まります。
異文化に触れ、新しいキャリアを積むことを決意。「どんな道も1本ではない」
新たな挑戦をすることを決め、キャセイパシフィック航空を退職した松本さん。東京に戻り、フリーアナウンサーの事務所に所属したそうですが、”なぜ異業種のテレビ業界に飛び込んだか?”という理由についても語ってくれました。
「海外生活をしたことで『雑誌にもテレビにも載っていない自分が知らない世界がこんなにもたくさんあるんだ』ということを痛感しました。それでディレクターとしてテレビのドキュメンタリー番組を制作して、こういう情報を大好きな人たちに伝えたいと思って。ただ、短大卒なので中途採用では難しい状況で、どうしたらよいか悩んだ末、まずはフリーアナウンサーとして活動を始めました。最終的にはキャビンアテンダントの仲間が『前例がないなら、あなたがパイオニアになればいいんだよ!とにかく行動したらいいよ!』と背中を押してくれました」
東京でフリーアナウンサーとして働き1年が経った頃、事務所から勧められたオーディションを受け、福井テレビの契約アナウンサーに合格。そしてニュースキャスターを5年間経験された松本さん。縁もゆかりもない福井県という土地で、一人前のテレビマンになる道のりは長かったと言いますが、この5年間は経験値を上げるため必死に働いたと話します。
「福井テレビは少人数体制だったので、キャスターの仕事だけでなく、記者をしたり、カメラを回したり、編集したりと全部1人で対応していました。当時は大変でしたが、おかげさまで本当に色々なスキルが身に付き、すごくありがたい経験でした」
また、福井県は北朝鮮による拉致被害者の方が多い地域だといい、ちょうど松本さんがニュースキャスターをしている際に拉致被害者の方が帰国するというニュースを取材したことがあったといいます。
「あのような歴史的瞬間の現場に立ち会わせてもらい、再会する家族の皆さんの姿を拝見し、家族の絆やふるさとの大切さなど、当時はいろんな感情が込み上げてきました。そしてその時『自分のふるさとって北海道だな』と思って。それで急に北海道のために仕事がしたいと思うようになったんです」
この体験が松本さんの”北海道孝行をしたい”という想いの原点だと話してくれました。
地元・北海道でリスタート。洋々たる30代の幕開け
その後、札幌駅のJRタワーが開業した2003年に北海道に戻ってきた松本さん。縁があり、北海道文化放送(以下、「UHB」)で番組契約という形態でディレクターとして働くことが決まったといいます。
「北海道に戻ってきたら、画面に出る仕事ではなく、自分の夢であるドキュメンタリー番組のディレクターなど、制作の裏方に徹したいと考えていました。ところが2004年、再び『ニュースキャスターをやって欲しい…』と白羽の矢が。そこからさらに10年間『UHBスーパーニュース』のニュースキャスターを務めることになったんです。30代でのスタートということもあり、20代よりも歳を重ねていたことで引き出しが増えていたので、また違う感覚で務めさせていただきました」
結果的には、北海道でもニュースキャスターとして働くことになったといいますが「北海道孝行をしたい」という想いと「自分にしかできない仕事だ」という使命感を持って、覚悟を決めたと当時を振り返ってくれました。
”医療キャスター”としての覚悟
松本さんの人生の節目で幾度となく訪れる不思議な使命感。松本さんは「もし訪れたタイミングで自分が望んでいなかったとしても『これが自分の役目なんだ』と理解し、楽で平坦な道より、辛くてもチャレンジできるデコボコ道を選択しながら、これまでの人生を過ごしている」と話します。
そして 2010 年、北海道でニュースキャスターを務めて6年が経過した頃、松本さんにとって不安な出来事が起こりました。
「実は母が卵巣がんになりまして。ステージ3だったのですが、当時は『がん=治らない』というようなイメージが強く、私もインターネットで検索しては生存率を確認して、落ち込む毎日でした。ただ、そこで気が付いたんです。『私ニュースキャスターをやっている立場なのに医療についての知識が全くない』と。母ががんになったことは本当に心配でしたが、 この時の気付きがきっかけで『ニュース番組を通して、多くの人に正しい医療の知識を伝えることができるんじゃないか』と考えたんです」
現在、松本さんのお母さんは治療の甲斐があり元気に生活されているといい、笑顔で経緯を話してくれましたが「この出来事がなければ、現在の『医療キャスター』という働き方は確立されていなかったかもしれない」と松本さんは真剣に語ってくれました。
それからは、UHBの番組の中で”がんサポートキャンペーン”というコーナーを企画し、月に1回のがん特集を数年間担当したり、UHBニュース番組卒業後の2015年以降も医療に関する取材を続けていたという松本さん。最初は”がん”という病気に特化していたそうですが、ある先生との出会いで、がん以外の病気についての取材も始めることになったと話します。
「2016年頃からがん以外の病気についても啓発活動を始めました。そうすると私自身も『病名は聞いたことがあるけれど症状について正しく知らない』という病気も多く、取材を通してたくさん勉強させていただきました。そんな時にある先生が『医療キャスターという肩書きで活動したらどうですか』と提案してくださいまして。最初は、医療専門職の資格もない自分が名乗るのはおこがましいと思っていたのですが、認めていただけるようさらに勉強する覚悟を決め、名乗らせていただくことにしました」
取材をする際は、”患者家族”という経験を活かし、患者の方の気持ちに寄り添いながら、”患者の方と医師との橋渡し役”ということを意識しているという松本さん。特に、”傾聴する” という言葉のように、ただインタビューをするのではなく、患者の方から自発的に話をしていただける環境を整えることを大切にしているそうです。
「これまで100名以上の方から心に響くお話をお聞きしました。そして『話すこと』は、自分の気持ちが整理されたり、生きる力に繋がったりすると思っています。私の活動は、患者の方にとって一筋の光かもしれないですが、少しでも前向きになってもらえたら幸せだなという気持ちでいつも取材させていただいています」
「自分のからだのSOSに耳を傾けてほしい。事前準備をしていれば何も恐れることはない」
医療キャスターとして活動を始めた2019年のコロナ禍の直前に、UHBニュース番組の1コーナーとして”病を知る”という企画がスタートすることが決まったという松本さん。その後2020年からは、この企画が”松本裕子の病を知る”という独立した番組に変わり、現在、毎月第2・4日曜の朝に放送されています。そしてさらに2022年からは、HAPPY WOMAN実行委員会の北海道支部長も務められている松本さんですが、この活動を通して、”継続的な女性の健康支援活動”を目指していると話します。
「今まで取材させていただいたのは女性の方が多く、婦人科系のがんを題材として取り上げることもたくさんありました。ただ、その方たちに共通していたのは『痛みがあっても我慢している』ということでした。最初は正直『なぜ我慢するんだろう?』という気持ちもありましたが、私自身もつい最近、更年期の症状で体調を崩しまして。それで当事者になったことで『これくらいの症状なら、きっと疲れているだけ』というように、日常生活で自然と我慢していたことに気付かされました。『我慢するとはこういうことか』と!」
そして今年の3月5日に札幌で開催された”HAPPY WOMAN FESTA 2023 HOKKAIDO”。このイベントは、”女性のカラダを正しく知る~我慢しないで...私らしい人生を送るために”をテーマとして、女性特有の疾患など女性の健康に関する正しい知識を広め、社会全体でヘルスリテラシーを高めるという目的があったといいます。
「今回のイベントで何度も議題に挙がったのが『MY婦人科』についてです。最近は『かかりつけ医』を持っている方が増えているかと思いますが、その多くは『内科』かと思います。しかし、女性は『内科』のほかに生涯を通して気軽に受診できる『MY婦人科』を見つけておくのがすごく大事だという話になりました」
”正しく恐れる”という言葉のように、”自分のからだを正しく理解し、正しい病気の知識を身に付け、闇雲に恐れない”ということを積極的に発信されている松本さん。そして特に現在は、病名をインターネットで検索するだけでたくさんの治療法が出てくる点に不安を感じているといいます。検索結果の中には誤った情報もあるため、”実際にその情報が正しいか”や”自分が納得できる治療法なのか”などを見極める力である”ヘルスリテラシー”や”患者力”を今後は身に付けることも重要であると話してくれました。
【開催レポート】北海道初開催「女性のカラダを正しく知る」国際女性デー|HAPPY WOMAN FESTA HOKKAIDO 2023
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ゆくゆくは叶えたいカフェOPENの夢。その名は”Maggie’s SAPPORO”!?
現在は医療キャスターとして様々な活動をされている松本さんですが、実は将来叶えたい大きな夢があると笑顔で語ってくれました。
「ロンドン発祥で、がん患者の方の拠点となっている『Maggie's London(マギーズ・ロンドン)』という場所がイギリスにあるんです。『自分を取り戻せる空間』とされていて、素敵な一軒家で、開放的な庭やリビング、そしてキッチンがあって。そこを訪れるのは病気を抱えている方だけではなくて、そのご家族やご友人の方など、カフェ感覚で立ち寄れる場所なんです。そして、そのような取り組みを札幌でいつかやりたいと思っています。特に女性は年代問わず、お茶しながらずっと話してますよね(笑)なので美味しいお茶とお菓子を食べながら、気軽に集えて笑顔が溢れる居場所作りができたら嬉しいなと。これが私の最終的な夢です」
そして夢のほかにも、人生においての考え方やテーマについてお聞きしました。
「歳を重ねて、自分の人生をふと振り返ったときに『人生って、全部が繋がっている』と改めて気付かされました。これまで経験してきたバラバラだった『点』と『点』が、実は『線』で繋がっていて。節目節目で悩みながら駆け抜けてきましたが、『あの時の経験が今ここで活かされているんだ』と思うと、もっと楽しくなったり、仕事の取り組み方も前向きになってきて。それに『肩書き』や『何を達成したいか』ではなく、『自分を必要としてくれる場所で自分なりにどう生きていくか』ということが人間として大切なんだなということを痛感しています」
さらに松本さんが人生のテーマとして心に留めているという”絵に描いたような人生より自ら絵を描く人生を”という言葉。これは、”キャビンアテンダントを退職し香港から帰国したにも関わらず、仕事がすぐに見つからなくて途方に暮れていた時”に知人からかけられた言葉だそうです。この言葉を知ってからは「絵描きが描いた豪華な絵画を手に入れるよりも、真っ白なキャンバスに自らの筆と絵の具で絵を描く方がずっと楽しい!何歳になっても失敗したら上から塗り直せばいい!」という考え方にもなったとか。
現在は人生の中間地点を辿っている松本さんですが、取材の最後は「まだまだ私の『人生の絵』は未完成ですから頑張りますよ(笑)」と喜色満面で話してくれました♩
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