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  • 【#えぞ財団】連載企画「#この人、エーゾ」㊹厚真町役場職員・斉藤烈さん~「1日3食食べて、よく笑って、よく遊んで、よく寝る!」これができればもう100点。自分にやれることを自分ができる範囲でやっていきたい~
【#えぞ財団】連載企画「#この人、エーゾ」㊹厚真町役場職員・斉藤烈さん~「1日3食食べて、よく笑って、よく遊んで、よく寝る!」これができればもう100点。自分にやれることを自分ができる範囲でやっていきたい~

【#えぞ財団】連載企画「#この人、エーゾ」㊹厚真町役場職員・斉藤烈さん~「1日3食食べて、よく笑って、よく遊んで、よく寝る!」これができればもう100点。自分にやれることを自分ができる範囲でやっていきたい~

えぞ財団 2024年6月27日

もがきながらも新たなチャレンジをしているひとを紹介する「この人、エーゾ」。今回ご紹介するのは、斉藤烈さん。

斉藤烈:1988年生まれ、北海道厚岸郡浜中町霧多布出身。北海道釧路江南高等学校を卒業後、国立大学法人北海道教育大学釧路校へ進学。卒業後はタイの日本人学校で3年間勤務し、その後1年間はワーキングホリデーでオーストラリアに滞在。帰国後は北海道立青少年体験活動支援施設ネイパル森で2年間勤務し、2017年より厚真町役場勤務。現在は厚真町役場厚真町教育委員会生涯学習課社会教育グループ主任/社会教育主事として主に地域と学校をつなぐコーディネーターとしての機能を担当。2018年には厚真けん玉クラブを設立し”けん玉けんちゃん”という愛称でも活躍中。

転機となった憧れの人からのメッセージは「人にかける時間の量が、その人との信頼関係になる」


札幌から車で5時間程度の場所に位置し、人口約5000人の浜中町出身の斉藤さん。浜中町は海と湿原の両方に面し漁業が盛んな一方、浜中産の牛乳はハーゲンダッツアイスクリームの原料として使用されていたりと、酪農も盛んな町です。「実は5歳の頃に家族の転勤で釧路に引っ越したため浜中町に住んでいた期間は短いのですが、父親が教員で学校のすぐ横に住んでいたのでよくグラウンドで遊んだり、井戸水飲んだり、スーパーヤマボシというお店で『クレープ屋さん』というアイスを買うのが好きだったりという記憶が残っています。それに両親の話によると野球のバックネットに登って降りられなくなったり、学校に来ている健診車の電源を抜いたりと、なかなかやんちゃな子どもだったようです(笑)それから時間が経過して大人になり、色々な経験をしてから浜中町に帰ると、なんだかすごく異国のような雰囲気を感じましたね」
小学生時代は児童会長を経験し、お兄さんの影響でサッカー少年でもあったという斉藤さん。当時描いていた将来の夢についても教えてくれました。「小学生の時の将来の夢は『英雄』でした(笑)もちろんサッカー選手になりたいという時期もありましたが、中学生の時はドラマの『3年B組金八先生』を見ていて、『自転車に乗ってる警察官かっこいいな~』と思ったんです。それから警察官を志した時期もあり、最終的に教員になろうと決めたのは高校生の時でした


ご両親が教員ということもあり、教育の世界は幼少期から近くにあったといいますが、実際に教員になろうと決めたきっかけは高校生時代にあったとか。「高校1年の時にある数学の先生がいたんです。普段は口数が少ない先生なのですが、数学への愛が伝わってくる授業をされる方で、その先生が定年退職される際の最後の挨拶の時です。『教員という仕事をやって気づいたことがあります。教員はこの世の中にある仕事の中で、1番たくさんの人と出会うことができる職業だと思いました』ってスピーチされたんです。なんだか高校生ながらこの挨拶の内容にグッときて『俺、学校の先生目指そう』と思ったんですよね
さらに高校3年生の時にも思いがけないドラマが待っていたと話してくれました。「その頃からテレビ番組の『プロフェッショナル仕事の流儀』が好きだったんですが、特に『中学英語教師・田尻悟郎さん』の放送回が大好きで。それで翌日学校で英語の先生に『昨日のプロフェッショナル見ました?俺、あの田尻さんに会いたいぃ~!』っ言ったら、『来月学会で会うよ』って、まさかの回答が返ってきまして(笑)その先生もすごく粋な先生で、ありがたいことに色紙を持って行ってくれたんですよ。そしたら田尻さんが僕に素敵なメッセージをくれまして。本当もうこれは自分の大きなターニングポイントですね!」
今でも鮮明に記憶に残る高校生活を過ごされた斉藤さんはこの時「こういう風に生徒の思い出に残る先生ってすごくいいな」と感じたとも笑顔で話してくれました。

現場で役立つことをとにかく学び、場数をこなした大学生時代


2007年に高校を卒業された斉藤さんですが、その後もさらなるドラマが待ち受けていたと話します。「小中高と釧路で過ごしたので、道外に進学したいと思っていたんです。それに自分の想像以上にセンター試験の点数がめちゃくちゃ良かったので新潟の上越教育大学を受験することに決めて。受験内容に小論文と実技があったんですが、きっと部活もやっていたし大丈夫だろうという感覚で当日を迎えました。そしたらまず小論文は、最後2、3行余ったんですよね。それで何を思ったのか、よくない癖が出て「教育とはそれ以上でもそれ以下でもない」みたいな終わり方をしてしまったんです(笑)加えて実技はですね、反復横跳びだったのですが、僕、ものすごい勘違いをしてたんですよ。反復横跳びって『中央ラインをまたいで立って、スタートの合図で右側のラインを越すか、踏むまでサイドステップして、また中央ラインにもどり、次左へ』という流れだと思うのですが、僕は中央ラインを起点に片足だけ交互に左右のラインに触れてたんです。カウントしてくれる周りの人もびっくりしていました(笑)その結果見事に受験し直すことに…。という経緯があり後期試験で受験した釧路の教育大に進むことになりました」
北海道教育大学釧路校では地域学校教育専攻の授業開発コースを選択された斉藤さん。実はご両親の母校でもあり、今振り返ると不思議な縁を感じると話します。「僕は元々『僻地教育』に興味があり、地域の中で地域のことを学べる田舎のような環境で、かつ小学校の先生がいいなと思っていて、それが理由で専攻も決めました。特に釧路校は他の教育大と比べてフィールドワークが非常に多い学校で、子どもたちと一緒に校外活動とか科学実験をやるようなコースでしたね。それに僕のゼミは特殊で、担当の先生もすごく面白くて。例えば急に『斉藤くん、この場所からドアまで歩けますか?(実際には3mくらいの距離)』って言われて、『はい!歩けます!』って答えたら、『君は無限をわかっていませんね。この本を読みなさい』と10cmくらいの分厚い『無限についての本』を渡され、5分で授業が終わるという伝説の回があったりしました(笑)今思うと何かを探求する授業が多く、『疑問に思ったことを調べて、仕組みを理解して、自分で答えを探すという作業』を4年間で相当数経験したかもしれません


こころのストレスを感じた20代。「なるようになる。自分の人生に期待はしない」


大学では、小学校教諭1種免許状と中学校教諭2種免許状(英語)を取得されている斉藤さん。”授業をつくる”ということについてを深く学んだ中で、また新たな想いが芽生えたと話します。「実は大学4年の夏くらいから、卒業してすぐに教員になるのが嫌だなと思ってしまって。それにある時、飛行機のワークに参加していた子どもが『紙飛行機って外国にもあるのかな?』ってつぶやいたことがあって。それで『あ、僕行って確かめてみよう』って思ったんです。それでまずJICAを受けたのですが、当時ラグビーをやっていて今よりも20kgくらい太っていたので健康診断で引っかかってしまい断念。そんな中、大学の教授が『外国行くなら日本人学校があるよ』と教えてくださり、それでタイに行くことにしたんです!」
そして大学卒業後の2011年4月にはタイの日本人学校で働き始めた斉藤さん。タイでは教員として3年間働いたそうですが、そこは小中校生合わせて約3000人規模のマンモス校だったとか。「教職員は約150人いて、職員室が4つ、そして小学生だけで2000人くらいいました。それにここでの経験は僕の中で一番ドラマがあった時期で…。タイ2年目にさしかかる3月に担任になることが決まって、周りの先生から『お前いいクラス作れよ』とか『がんばれよ』って声をかけてもらってたんですが、そしたら急にご飯が食べれなくなったんです。結果、胃が受け付けなくなってゼリーと水だけの生活が始まり、1ヶ月で20kgくらい落ちちゃって。それで親に泣きながらスカイプしたり、薬を飲みながら不安と戦った3年だったんですよね。でも、ある先生に『誰もお前に期待してないよ』って言われて、不思議なことに、その一言がきっかけでご飯食べれるようになったんです」
今振り返るとおそらく不安障害やパニック障害の一種だったと斉藤さんはいいますが、実際にその苦しい時期を乗り越えたからこそ見えた景色があったそうです。


“崩れた体調”と”失った自分”を取り戻す期間だったオーストラリアでのワーホリ生活


そしてなんと、タイから帰国後の2014年6月にはワーキングホリデーでオーストラリアに行くことを決めた斉藤さん。3年間の教員生活とはまた異なる生活を送るため、新たなスタートを切ったと話します。
ここまで教育ばかり勉強していたので、正反対のことを自分の力でやってみたいと思ったんですよね。それで思い付いたのが『農業』。無農薬の農家を中心にボランティアとして働き、その代わりに住む場所と食べ物をいただくという生活をしながら様々な農家を体験し、お金がなくなったら路上ライブをしてお金を稼いでいました。25ドルの小さいギターを買って、路上で玉置浩二さんの曲を日本語で熱唱するというのが当時の気持ちのリセット方法だったというのもあります。南半球だということを忘れ半ズボンで極寒を過ごすことになったり、農家で土仕事してダニに足を食われ大変なことになったりなどハプニングもありましたが、自分と向き合って、自分を取り戻せた貴重な時間だったと思います」
またワーホリ終盤では、旅をするためシンガポールへ行き、マレー鉄道縦断をしながら2、3週間バックパッカー生活も体験したという斉藤さん。そのような海外での生活を経験したこともきっかけの一つとなり、その後の斉藤さんの行き先が決まったと話します。
「学校の先生や農家を経験したおかげで、学校では教えられないことをたくさんの人に伝えたいなと思うようになったんです。なのでワーホリ後の働く先に『学校』という選択肢はなかったんですよね。また、キャンプインストラクターの資格を持っている大学時代の友達がいたのを思い出しまして。それで『キャンプ×教育』と考えた時に、林間学校のようなところで働いてみたいと思い、そう決めたらすぐ動きたくなって。旅の最中に履歴書書いて、メールして、無事採用をいただき、帰国後の就職先が決まりました


今世の中で大切なことは「公立の世界を最高に面白くすること」なんじゃないかな


帰国後の2015年3月に道南の森町にある”北海道立青少年体験活動支援施設ネイパル森”で勤務を開始された斉藤さん。最終的には2年間働いたそうですが、新たな場所で働いたことで、さらにたくさんの疑問点も持つようになったと話してくれました。「実は僕がけん玉を始めたのはこの時期からなんです。ある日、若者たちの文化を紹介しているテレビを見ていて、突然けん玉やろうと思って、それですぐトイザらスに走って、首からけん玉を下げ始めました!教育の現場で『髭を生やして、丸眼鏡をかけて、けん玉を下げて』というのはあまり相応しくないので、最初は怒られたりもしましたが、ありがたいことにだんだんと周りの方々も容認してくれるようになって。それで楽しく毎日を過ごしていたんですが、ふと『親はお金を払って、移動に時間をかけて、さらに学校の長期休みを使用して子どもたちに自然体験や集団生活をさせている。これはなんでだろう』って思ったんです。例えば『もし毎日家で焚火が出来たら』や『通常の土日で家族登山ができたら』など考えるようになって。自分の仕事は楽しいし、やりがいもあったのですが、疑問を持ってからは『なんでこんなに楽しい活動をしてるのに、すべての人が享受できないんだろうな』って。それで思い付いたのが『公立の世界』だったんです」
その後、学校でもなく民間のサービスでもない隙間時間が”放課後”ということに気付いた斉藤さんは、そこから”日本一の学童保育・最高の放課後”を創りたいと考えるようになったとか。そんな中、道南の研修に参加した際に出会った方がきっかけで、現在の職場である厚真町役場で働くことになったと話します。「研修会もけん玉を下げて参加していたら、厚真町役場の方が声をかけてくださって。しかもちょうど『放課後児童クラブのコーディネーター』を募集してるというんです!ただその時は、ネイパル森で働いて1年しか経っていなかったのでお断りしたのですが、また次の年、同じ場所で、同じ方に声をかけていただきまして。これは何かのご縁だなと思って、それで厚真町役場で働くことを決めました」


「1週間は168時間。うち40時間は公務員。残りの128時間は、さあ何をして楽しもうかな」


2017年からは厚真町役場の職員として働くことになった斉藤さん。さらにプライベートでは結婚し、現在は2児の父に。厚真町に移住してから約7年が経った近況についてもお聞きしました。「まず当初からブレてないのは『公立の世界で最先端の環境を創りたい』ということですね。それに最近は核家族化がより進んで、みんなで子育てをする文化ではないので、保護者の方が求める場所が学校になっていると感じます。僕は普段、教育委員会の社会教育主事として仕事させていただいているのですが、学校内での生活だけではなく、家庭や地域との関わりの部分、いわゆる『生涯学習』に携わることが多いです。また、独身の時は自分の経験から得たことが判断軸でしたが、子どもが生まれてからは『これ経験させられたら楽しいだろうな』って思って、それが自分のモチベーションにも繋がっている気がします


コーディネーターとして仕事内容は多岐に渡り、日々複数の役割を担っている斉藤さんですが、ある時先輩に教えてもらった言葉をきっかけに、常に自分に問いかけていることがあると話します。「ある時先輩が『君の1週間あたりの拘束時間は40時間だよ』って言ってくれたんです。1週間が168時間ということもその時は考えたことがなかったのですが、その頃から『残りの128時間は地球人だ!』くらいの感覚になりまして。だから考え方次第で好きなことをまだまだやれますよね。けん玉も僕の好きなことの一つですが、仕事以外の時間に何をしているかを考えるのもすごく大事な時間だなと改めて感じています。僕の場合、仕事もプライベートの一部というような感覚もありますが、僕が体現できたことや大人たちの背中をみて、笑顔になってくれる子どもたちが増えたらすっごく嬉しいですね。現在も僕にできることはなんだろうと日々模索している最中ですが、家族共々町の皆さんにお世話になっているので、僕がお役に立てることがあるなら、どんどん挑戦していきたいです!」
せっかくなら子どもたちのために"スペシャルな場所を用意して、やりたいことをやれる環境を創ってあげたい"という斉藤さん。これまで以上にバリアブルな教育を探求し続ける斉藤さんの今後に大注目です!

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